照国神社隣にあります探勝園は、島津家第25代当主 島津重豪によって作られ、当初は「千秋園」と呼ばれていました。第27代当主 島津斉興の時、手を加え「探勝園」となり、素晴らしい庭園であったと言われています。この探勝園を我クラブ第2代会長 L.三根卓司の時、整備を始めたことが探勝園清掃の始まりです。当初は探勝園の池や樹木の整備、更には門扉、照明塔の新設などを鹿児島市公園緑地課と協同、もしくは単独事業として行いました。現在は毎月第3日曜日を基本に月1回の清掃を続けています。
月例奉仕活動
献血運動への協力は、ライオンズクラブの必須アクティビティですが、我クラブは昭和52(1977)年 第4代会長 L.田中文雄の時より始めました。昭和55(1980)年には現在の年3回の献血アクティビティが確立されています。その他に鹿児島市ミニバスケットボール大会での献血運動、レオクラブによる献血運動の支援を行っています。
1月はたちの献血運動、6月献血運動、9月献血運動、12月市内合同献血運動
11月3日のおはら祭の最後に授産施設の皆さんを支援する目的で、チャリティバザーを行っています。7授産施設の方々が思い思いに作られた製品を販売すると共に我クラブ会員の製品販売を行い、その収益を授産施設の皆さんへ提供させて頂いています。
年例奉仕活動
昭和53(1978)年に始まった鹿児島城山ライオンズクラブ旗ミニバスケットボール大会は、青少年育成事業として始まりました。我クラブは、電子得点板スポーツタイマー、大会横断幕の寄贈など支援しております。現在は男女58チーム900名(第46回大会)の小学生が参加する大きな大会となりました。
青少年育成事業